みんな の ひろば


 

《私と太極拳》

 

稲塚 新一(いなづか しんいち)

 


1944年、東京都神田生まれ。

現在、東京太極拳協会に所属。
東京太極拳協会理事及び神奈川県武術太極拳連盟監事。
日本武術太極拳連盟A級指導員 東京太極拳協会1級指導員
神奈川県武術太極拳選手権大会
32剣部門優勝<04>、太極剣・刀部門優勝<'05、’09、’10> 
公認スポーツ指導員・健康体力づくりインストラクター

 

 ホンマものの『太極拳』は、「武術」「養生」「思想」などの視点から、
   極めて優れた内容を持っていると思います。

  小生の数少ない経験を通して、話しを進めて行きたいとおもいます。

 

 

第1話「太極拳のお陰により、人生、二度救われました!」

 

小生、ただいま73歳!もう少しで後期高齢者の仲間入り!
  今までの人生を振り返ってみますと、
 太極拳に出会ったお陰で、命を二度救われた思いがしています。

 

 一度目は、『脳梗塞』から救われました。

 

忘れもしません。

小生59歳の4月21日、太極拳を始めて約10年目の春、家の階段を上がろうとした時、

 突然、頭に激震(衝撃はあったけど、全く痛み無し)が走って、階段の途中で倒れてしまいました。

 

最初、何が起きたのか? 全く分らず。起きようとしましたが、

左半身が鉛の塊のようになり、全く動けません。
 そこで、初めて自分の様態に異常が起きている事に気が付きました。「脳梗塞」です。

 

 小生の倒れる2ヶ月前、
 元巨人の長嶋監督が脳梗塞で倒れ、発見が遅かったため後遺症が残った事をニュースで聞いていたので、

留守で誰もいない家で、このままジッとしていても症状が悪くなるばかりと考え、
 ゆっくり慎重に階段を滑り降り、一階の床を、動く右手と右足を使って、
 食堂にある電話口にやっとのことで辿り着きました。

 

何とか手を伸ばして届いた電話で、
 連絡の付いた長男のお嫁さんに救急車を呼んでもらい、近くのS大学病院へ運ばれました。

 
 すぐに集中治療室で、

右股関節部からのカテーテル治療で血液凝固防止剤ヘパリンを5回程投与する間に、

CTなどの検査を行い、手当てをして頂きましたが、症状は一向に良くなる気配が有りません。

 医師と家族の相談の末、血栓溶解剤ウロキナーゼを投与して一時少し良くなったのですが、

 入院3日後には、左半身完全不随と左視野狭窄に成っていました。

 

その後、漸く点滴の管も1本になり、採尿の管も外れ、車椅子でトイレに行く許可が下りましので、

 早速、ベットから車椅子へ移動しようとしたのですが、

 ベットの上で10日間も絶対安静の状態でしたので、

 ベットから起き上がって一歩も立ち歩く事も出来ませんでした。

 
     翌日から、ベット上及び病院内廊下で「自己流のリハビリ」を始めました。

 具体的には、

 健常な右半身にあわせて、ベットの上で寝たまま、

 下丹田から足裏及び指先へと、ゆっくりゆっくり気を流しました。

 また、毎日食事前に、

 点滴のポールを支えに、病院の廊下をゆっくりゆっくり歩きました。

 入院3週間後の退院時には、まだ左手は不自由でほとんど動きませんでしたが、

 足の方は、ゆっくりならば杖なしに歩けるまでに回復しました。

 

5月中旬の退院後、

 息子が心配して、リハビリの為の入院治療を進めてくれたのですが、

 7月に全日本選手権大会の32式剣部門に

 神奈川県代表で出場が予定されていたので入院を躊躇していました。

 

太極拳所属教室の植村敬一先生をはじめ、仲間の皆さんからも応援を頂き、

6月の東京太極拳協会主催の全国大会向け特別練習に参加しました。

 その特訓のお陰で、普通に身体も動くように成り、目の方も治りました。

 結果としても、5位に入賞出来ました。

 

「太極拳リハビリ、万歳!万歳!万歳!」でした。

 

今振り返ってみますと、

どうも脳梗塞になった原因として、働き盛りの40歳代、まだ少し無理の利く40歳代、

2回に渡る丸8年間の単身赴任時の暴飲暴食、不規則な生活及びストレスが大きく影響したのでしょう。

 

 

尚、脳梗塞のリハビリのポイントは、

 

不自由な「動かない半身」に対して、絶対に否定しないこと。

 

<一動全動>で、動く側の半身に合わせて、

 ゆっくりゆっくりと心身の中心から末端に向かって、気を流しながら、

 動く方の手でフォローし、手当てしながら、一方の半身を動かした「つもり」になること。

 

そして、

 動かなくても、擦りながら愛を込めて、褒めて褒めあげる。

 回復に向けて、絶対に焦らない。

 

いつか必ず、左右一緒に、同じように動くようになります! あきらめないで下さい!

 
 二度目については、またの機会にお話ししたいと思います。

 
 

 


 

第2話「太極拳との出会い」

 

 

小生、太極拳と出会ったのは50歳の時でした。

 

三重県四日市市に2回目の単身赴任中、東京出張の折、
妻外起子から江の島にある婦人会館での太極拳合宿練習風景のビデオ撮影を頼まれました。
その時、指導されていた奥村先生ご夫妻から太極拳を勧誘されました。
ちょっと躊躇しましたが、練習後の飲み会の雰囲気が良かったので、横浜の自宅に帰った時のみ、中学校の体育館で開かれていた教室に通い、ボチボチと太極拳を始めました。

 

 

その頃は、現場と技術部を兼務する大変多忙な時期でした。
休日の日には、テニス・ゴルフ・水泳・ジョギングなどをして、何とか健康維持を図っていましたが、
太極拳を続けている内に、何か他のスポーツと異なる感じを受けました。

 

 

2年後、四日市転勤から戻る同時に、子供たちの大学への通学の関係で、
横浜の南部から北部へ転居する事に成りました。その為、奥村先生の教室に通う事が出来なくなり、

 

田園都市線沿線の教室を妻と一緒に探し回りました。

 

  幾つかの気功教室や太極拳教室を見学させて頂く中で、
今の東京太極拳協会所属「長津田土曜会教室」で、
故植村敬一先生( 全日本武術太極拳選手権大会 簡化24式太極拳 A部門連続優勝者 )と巡り合えました。

 

 

教室に見学に行ったその初日に、
突然、植村先生より、簡化24式太極拳を皆と一緒にするように言われました。
小生は、びっくり! 覚えたての套路を必死になって表演したところ、
「お前の太極拳は、盆踊りだ。次から一番前で、一歩一歩勉強しろ!」と、先生から一喝されました。

 

 

そんな出会いから、毎週土曜日、植村先生の厳しい「しごき」の中で、練習が始まりました。

 

 

5年ほど経た頃、
太極拳のゆっくりした動きの中に、今まで楽しんで来たテニスやゴルフと異なる感覚、

身体の中心部から「ジワー」と湧き出てくる心地良さ、
足裏から背を通して手の先まで百会まで繋がるエネルギー、
周囲の雰囲気に包まれ、周囲から生かされているような感覚を受け、

徐々に太極拳に憑りつかれて行きました!!!


                  写真 2018/11/3 長津田まつり より

 

 

 

 

 


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